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  ムカデか出たっ!!  
 
 
 去る20日、日曜日。夜、晃子が二階で勉強していた。
「ぎょえぇぇぇ〜〜〜〜っっっ!!!!」と雄叫びが響き、助けを求める。私は暢気に「何??」と言っている内に「コックローチィィィ〜〜〜〜!」と次なる雄叫び。
 ドタドタと階段を駆け上がる音。孫可愛さにばあちゃんが二階へ駆け上がった。どうやらムカデが出現した様子。
「バシッ!バシッ!バァシィッッ!!ふぅぅぅぅ。もう大丈夫。ひろ子さん、摘んで捨てて。」
 二階からすごい物音とばあちゃんの声。上がってみるとムカデは虫の息。胴体は皮一枚でやっとつながっている状態。哀れ、ムカデの最期である。

 コックローチに付いている虫バサミ!?でつまんで外へでた。家の裏を流れている水路に、お題目を唱えながら投げた。
 二階から避難した晃子を誘ってお風呂に入り、そろそろおねむの時間。晃子は勉強の続きをやっている。耕平は二階は蒸し暑いからと、下のばあちゃんの所で寝ると、早々に言い切った。普通こんな事は無い。暑くて眠れなくても、上がったり降りたり、何度も繰り返した後、どちらかで落ち着くのだが、今日はムカデ騒動があったので、きっと怖気づいているのだと、私は思った。

 うとうとしていると「ガタッ!」と椅子から立ち上がる音。
「い、今、ムカデが居った。」
「あんた、幻覚を見たんじゃ無いの?ノイローゼよ、ノイローゼ。」
「いや、あれ、絶対ムカデだったよ。机と壁の間へ入って行った。」

 そうまで言われちゃ、放っておけない。机と壁の間のコタツ板をすぅっと抜いて、おもむろにコックローチを噴霧。とことん噴霧した。奥の方を一生懸命覗き込んでいると、すぐそこにヤツがいた。
 おぉっと驚いて、冷静に虫はさみでつまんだ。まだイキが良くて、はさまれながらものすごく暴れた。ナイロンの買い物袋を受けたゴミ箱へポイッと入れた。ごみは私が鼻をかんだティッシュが二枚ほど入っていただけだった。

 ムカデはツルツルの壁をよじ登ろうとするが、自分の重さに足の引っ掛かりが耐えられずずり落ちていく。10分位だろうか、その様子を娘と二人無心に見ていた。ムカデは次第に弱って、動きが鈍くなった。晃子が言った。
「お母さん、お経詠んで。」
「唱え奉る妙法は云々・・・・」
 三つ子の魂百まで。小学校の頃父から習ったお経を唱えた。

 翌朝、ムカデはまだかすかに動いていたが、もう時間の問題だった。晃子は「こんな所に入ってこなけりゃ良かったのに・・・・」と小さな声で言いながら、ゴミ箱の中のムカデに手を合わせた。 ムカデと言えども、ひとつの命には変わりは無いのだ。

              2004年6月22日(火)
 
 

  時節の挨拶  
 
 
 販売店を通さず、我が社から直接商品をお届けするお客様には、商品お買い上げのお礼とお支払いに関する内容を盛り込んだ挨拶状をつけて発送する。今、悩んでいるのが、その中に綴る時節の挨拶である。

 梅雨に入ってかれこれ十日ばかりだろうか。入梅前には「もう梅雨かしら?」と思うほど、雨、雨、雨の毎日だった。ところが、梅雨に入るとさわやかな毎日が続いた。そこで、「もう梅雨に入ったような雨が続きますが〜〜」から、「梅雨とは言え、さわやかな毎日が続きますが〜〜」に、時節に関する文面を変えたかと思うと、今度は典型的なしとしと長雨だ。まったく、困ったものだ。

 スイミングクラブは来る19日にスイミング始めを控えて、明日はコーチ会議が予定されている。困った事に、プールに水が入っていない。今年はどうやら小学校のプールでスイミング始めとなりそうだ。

                2004年6月18日(金)
 
 

  4年振りのN様からのご注文  
 
 
 おいたちの小箱を発売した2000年秋。お隣、福山市のN様からご注文を頂いた。あれからもう4年。先日、府中ものづくり直販工房のサイトから、N様のお名前でご注文があった。いきなりは思い出せなかったけれど、段々と思い出すにつれ、「あぁ、発売当初にご購入頂いたあの方だ。」と記憶が蘇った。
 注文メールの備考に「上の子の時にはお世話になりました。二人目が生まれたので、またおいたちの小箱を作ってください。」と書かれてあった。お兄ちゃんのM君のおいたちの小箱は、8番の指示書で墨書にまわっている。そして、この度お作りする弟君のおいたちの小箱は、なんと1128番だ。二人の間になんと1120人のおいたちの小箱の仲間が存在しているんだと思うと、なんだか感無量!!この仕事をしていればこその幸せだ。

 これからも、ずっとずっと、おいたちの小箱を作り続けよう。巨人の清原選手が、先日2000本安打を達成した。おいたちの小箱もこの前クリアした1000番の次は、やっぱり2000番でしょうか。

               2004年6月5日(土)
 
 

  NHK ニュース報道で反響  
 
 
 先月の21日に、記者の西津さんから取材を受け、23日に放送された「おいたちの小箱」報道。あの日は広島県内で放送されたのだがそれ以後、ある程度のインターバルを置いて、中国五県で相次いで放送されることになっていた。その放送が次々に実現されたようで、まずは岡山県。次に鳥取県。さらに昨日は山口県からの問い合わせの電話が続いた。本当にありがたいことだ。
 お電話を頂くのはおばあちゃんからが圧倒的に多い。お母さんからの電話もそれに続く。中にはおじいちゃん、お父さんからの電話もある。どのお客様も孫や子に健やかに大きくなって欲しいと願う気持ちが伝わってくる。
 殆どのお客様が価格を聞いて「割とお安いんですね。」と言ってくださる。私自身、おいたちの小箱が採算が取れているのかどうだか分かっていない。ただ、どの子にもげんきで大きくなって欲しい、愛情を注がれて育って欲しいと思う気持ちで、一人でも多くの子供へ届くようにこの価格を設定した。
 21日には大阪心斎橋・江坂の東急ハンズ2店舗の共同企画でおいたちの小箱がチラシに掲載される。反響はどうだろうか。作りおきをと思いつつ、まだ在庫の一つも出来ていないのが辛い。
                 2004年5月20日(木)
 
 

  跳び箱は一段落。おいたちはぼちぼち。明日はNHKがやってくる。  
 
 
 確か4月の第2週だったか、NHKの記者の方から、取材を希望される電話が掛かった。その翌週、来社されて、あれこれと話に花が咲いた。
 商品の立ち上げの歴史とか、現況とか、将来の展望とか。なんだか妙に大雑把ですが、そんな話を聞かれました。
 まぁ、自分で言うのもなんですが、とにかく「語らせれば際限なし。」と云うツワモノでありまして、よく言えば“こだわり”があるということですが、反面、このあたりの言葉で言うと「やねこい」!?でも、きっと聞いてる人には面白い話なんでしょうね。時々オチも交えたりしながら、約1時間、話しました。
 週が変わり第3週の金曜日。16日に電話があり、企画会議でOKが出たとのこと。21日(水)にロケにこられる事になりました。
 ロケの中で、実家の母がおいたち緒の筆耕にあたっているところも撮りたいとのことで、先日母にその旨を伝えると、「ギャ〜〜〜ッ!」と雄叫びを上げて卒倒しました。と云うのは言いすぎですが、かなりパニックになっていました。そしてその翌日、おいたちの筆耕を頼みに行くと、家の中は妙に片付いているのでした。
「あ、きれいになってる。」と突っ込むと、「そ、そんなことないよ。」とうろたえる母に、深い慈しみの念を抱いた娘でありました。
 また、我が家の二人の子供達にも出演依頼があって、「おいたちの小箱第一号&第二号ユーザー」としての気持ちを語っていただきたいとのこと。気の小さい息子にそれを伝えると、即座にパニック状態。今まで、何度かの取材の度に、画面に映ろうとして「邪魔者」扱いを受けてきた息子なのに、正式に出演となるとパニくるなんておかしいと思いませんか?まだまだ子供ですね。中3の娘は落ち着いたもので、一言「で、なんて言えばいいの?」オーッ、冷静。見習いたいですね。

 さて、そうこうするうちにも時間は過ぎて、明日はとうとうロケ本番。どんな内容になるのやら。楽しみなような不安なような。思わず現場を少し片付けてしまった私です。

 話は変わりますが、昨日はあるお客様からお叱りを受けました。実は、お使い物のおいたちの小箱につけた熨斗書が文字が違っていたのです。どうも「既成概念」に支配されているのでしょうね。身近な人と同じ漢字に書き間違っているのです。この手の間違いは、おいたちを始めて丸三年が過ぎようとしているこの頃も、なかなか撲滅できないでいます。気持ち一つだとは思いつつ、ぼ〜〜ッとしているこの性格なんでしょうね、原因は。性格改造計画!?が必要?

 と言う事で久々のコラムでした。

               2004年4月20日(火)
 
 

  ご迷惑をお掛けしました。  
 
 
 去る14日に出荷したおいたちの小箱があった。確か4口ほどの出荷だっただろう。そのうち2口が二個入りのものだった。そして、その2口のそれぞれ一つずつが、入れ替わってお客様に届くと言う粗相をしでかしてしまった。
 16日(月)朝、A様からお電話を頂き、そのことを知った。13日(金)夜10時までの英語の塾へ行っている娘を迎えにでる便に、実家へ早めに出て梱包作業をしたのである。筆耕に当たってくれている母と一緒に梱包したのだが、二人の間での受け渡しで間違いが起こったのだろう。
 A様はひどく立腹されていた。と云うのも、15日(日)夜に、弊社宛にメールを入れておられたのだ。しかし、その時には私は既に退社しており、16日(月)には、現場に追われ、メールを確認することなく、現場に当たっていたのである。その時に掛かってきたのが、A様からの電話であった。

 現場も大事だが、メールを確認しなかった自分がひどく悔やまれた。5分掛けてメールを確認していれば、A様をこれほども幻滅させずに済んだだろう。A様から対応の悪さをどれほど指摘されても、仕方の無いことだ。入れ違ったS様に連絡を入れてご確認願った。案の定、R君の物が届いていた。すぐに梱包して返送しますよ、と言って頂いた。
 17日午前。双方から返送されてきたおいたちの小箱にそれぞれ正しい宛先をつけて発送した。今後は、間違いの無い様、細心の注意をし、間違いのないシステムを立ち上げなくてはと思う。

 さて、1月には、8年待った初孫にと京都のN様からご注文を頂いたおいたちの小箱では、お名前の“嶺”と云う文字の書体の手直しをと申し出があった。一生持つものだからとの思い入れをして頂く「おいたちの小箱」なだけに、本当に間違いが有ってはならない。誠心誠意を尽くしたいと思う。お詫びのしるしに、府中にある小さな和菓子屋さんのお饅頭を幾つか同封した。まもなくそのことへのお礼状が届いた。
 つい先日、小さな包みが届いた。N様からだった。開けてみると京都銘菓「亜じゃり餅」と孫娘のRちゃんの写真が入っていた。ふくよかににこやかに笑った顔がなんとも愛らしい。文字の書き換えを申し訳なく思っていること、息子さん夫婦がおいたちの小箱を心から喜んで下さったことなどを綴った手紙が添えられていた。
 頂いた亜じゃり餅は、現場の職人さんたちと頂き、残った分を筆耕者である母へ持参した。Rちゃんの写真を見せると、「愛嬌良しさんだね。げんきで大きくなってね。」と、そこはかとない笑顔で、見つめた。

            2004年2月18日(水)
 
 

  スキー合宿報告書  
 
 
 小学校のスイミングクラブの恒例行事、スキー合宿へ行ってきました。毎年、2月の第1土曜日に出発し、翌日帰って来ます。泊り掛けのこの行事を、子供達は心から楽しみにしています。そして、親たちは軍資金調達に四苦八苦します。しかし、泊り掛けならでは楽しさ。子供達は言うに及ばず、夜が更けるまでお母さんたちが四方山話にふけり、お父さんたちは杯を酌み交わします。

 ゲレンデに出ると、たくさんの親子連れがいて、それぞれの親子模様が見て取れます。我が子を厳しく指導するお父さん。手取り、足取り教えるお母さん。おじいちゃん、おばあちゃんも大活躍の家庭もあります。親は子供が少しでも習ってくれと、一生懸命に取り組みます。
 教えを受ける子供には、大きく分けて二つのタイプがあります。行け行けドンドンタイプと、かっこ悪いの嫌だよタイプ。
 恥ずかしがりで、失敗するのが怖い子は、なかなか一歩が踏み出せません。勿論、持ち前の運動神経があり、運動に堪能な子もそうでない子も居ますから、一概には言えませんが、運動神経が大して良くなくても、くじけず、挑戦を繰り返す子は、いつしかスキーの技術を身に付けていきます。逆に優れた運動神経を持ちながらも、失敗を不恰好と思い、回りの人たちにそんな自分の姿を晒す事を恥を思う子は、なかなか上達する事ができません。

 此処で、私が思うのは、一人一人の「持ち前」は、生まれた時点で決まっているのですから、その範囲内で、自分自身をどれだけ伸ばせるのか。その力を子ども自身の中に育ててあげる事が親の務めではないかという事です。
 親の方が体裁を気にして、出来ない事を恥と観念付ければ、たまたま最初からうまく出来た事が出来るだけです。出来なかった事が出来るようになる喜びを、みすみす捨てる人生を我が子に余儀なくする結果をもたらします。
 幾ら不恰好でも、幾ら人に笑われようとも、一つの事を克服する事にこそ意義があるのだと、子供に教えれば、その子の人生は、できない事を見つけ、それを克服し、その度に喜びを感じる事の出来る幸せなものになるでしょう。

 「結果を出せなければ意味がない。」良く耳にする言葉です。でも、此処でいう「結果」とはなんでしょうか?コンクールで一位になることでしょうか。大会で優勝する事でしょうか。勿論それは大きな「結果」ですが、ホンの小さなことであっても、自分の中に「目標」を立てて、それを目指してこつこつと努力し、その目標を実現する。それも、立派な「結果」だと、親は子供に教えるべきでしょう。
 一日一日の小さな目標の積み重ねが、気が付くと大きな結果として表れた時、さらに大きな満足感を感じるだけのことで、大切なのは、小さな目標の達成。これに尽きるのではないでしょうか。

 真っ白なゲレンデをおぼつか無いスキーぶりで滑りながら、様々な親子模様を見る時、「這えば立て、立てば歩めの親心」とはよく言ったものだと感じます。そして、それを成就するために、激励と賞賛、そして時折の叱咤を子供達に贈る事を忘れないで居たいものです。

                2004年2月8日(日)
 
 

  嬉しいファックスが届きました。  
 
 
 福山リビング新聞社の綿谷さんと云う編集の方から、一通のファックスが届いた。彼女はこのお正月の全国リビング新聞の「めでたいもの特集」と云うプレゼント企画に、我が社の「おいたちの小箱」を拾い上げてくださった人だ。
 去年の11月、一本の電話が鳴った。ネットで「おいたちの小箱」に出会い、ぜひ企画に参加して欲しいとのことであった。広告宣伝費を捻出できない我が社にとってこの上もなく嬉しいお誘いで、一も二もなく了解した。

 その綿谷さんからのファックスは、広島のある主婦がリビング新聞社へ宛てた便箋3枚に渡る手紙であった。そしてその内容はこうである。

 正月も過ぎたある夜、今年成人式を迎える息子のことについて、夫と二人、その子育てに関わるいろいろな思い出話に花を咲かせた。その中で、実は自分が息子の乳歯を全て、抜けた日まで記録して残している事を告白した。夫は、それは普通ではないと失笑したが、妻の子育てに寄せる思いを聞くうち、それも納得のいくことであると思うに至った。
 何年来、自分の胸に秘めていた小さな秘密!?を夫に打ち明けた翌日届いたリビング新聞の記事の中に、「おいたちの小箱」を見つけた時の驚愕と喜びは、今まで経験した事もないほどであった。こう言う思いで子育てをしている人が他にも居ると思うと、どうしようもなく嬉しく、心強く思う。

 こう言う内容の手紙であった。プライバシー保護のため、お名前や連絡先を知る事はないが、おいたちの小箱を作ったこの私の方が、驚愕も、喜びもひとしおである。
 たくさんの親子の絆を、このおいたちの小箱がさらに強く、優しく逞しく繋ぐ事!?が出来たら、本当に素晴らしいと思う。
 2000年10月の発売当初、大方成人されているであろうお誕生日の3人分のおいたちの小箱を求められた女性が有った。彼女もきっと、ひっそりと我が子の乳歯を残しておいた一人だったのだろう。

 これからは、住宅事情の変化も手伝って、昔のように下の歯を天井裏へ、上の歯を床の下へと放る事ができない時代がやってくるから、段々と「ねずみの歯と換えてくれ!」のおまじないは廃れ、その代わりに、言葉と食事を与えてくれた小さな20本の歯に、感謝の気持ちを込め、大事に残す時代が来るのだろう。
 小さな小さな前歯を見ると、反抗期になって全く生意気ばかり言う我が子への「怒り!?」も、鎮まると云うものかもしれない。
 そして、我が子が巣立ちゆくその日に、古ぼけた木箱を手渡す時、我が子も受けた命への感謝を改めて強くし、自分の周りの全てへの慈しみの思いを新たにするに違いない。

                   2004・1・29(木)
 
 

  現実を受け止める  
 
 
 12月、関東のある方からおいたちの小箱をご注文があった。3歳の男の子は生まれつきの障害があり、まだ歩く事が出来ない。言葉も標準よりうんと遅れているとのことだった。
 障害は一つの個性だと言いながら、バリアフリー云々と言いながら、健常者主体の社会の中で障害を持つ人たちが暮らしていくのは、並大抵の事ではないと思う。私自身、8年ほど前、現場の機械で怪我をして、左手の親指以外の4本に障害を持ち、特に薬指が曲がらない状況が、日々の暮らしの中で、特に小銭を扱う時、指の間からこぼれ落ちてしまう不便など、いわゆる五体満足に欠ける不便は痛感している。
 その程度の障害は「障害」と呼ぶにも値しないだろう。目の不自由、耳の不自由、手足の不自由。そして、知能の障害。ともすれば、健常者から見ると「気楽で良いよね。」と思われがちな、障害を持つ人たちの本当の不自由を、健常者は、しっかりと見つめ、支える気持ちを持てると良いと思う。
 私的に言えば、この曲がらない指を、不思議そうに子供がじっと見詰め、親が「そんなに見無いの!」と注意を促す時、むしろ「ご不自由ですね。」と声を掛けてもらったほうが気が楽かな・・・と思ったりする。この薬指は、時として、自分の人生の方向を大きく変えようと考えかけると、「もう新しい指輪は出来ないよ。」と忠告してくれる役目もある。尤も、そんなに深刻に「離婚」なんて考える事は子供が生まれて以来、一度も思ったことは無いのだが。
 自分の人生だけれど、自分の思いのまま、心地よさのみを求めて過ごす事は許されない事を、実感させてくれるものなのである。今時・・と思われるかもしれないが、今ある環境の中で、如何に生きる意味を見出し、中身のある人生を送るか、それを教えてくれる障害なのである。

              2004年1月14日(水)
 
 

  父さんの行動力に感謝!!  
 
 
 3段の小物入れ30個、父さんが組んで積上げて丸めて蓋の地を塗ってくれた。小さなものだから男の人の手には合わないはずなのに、黙ってせっせとやってくれた。私は抽斗を進めていた。今日、心斎橋へ出荷しなくてはならないものばかりだった。その他に別注の小物二件にも手をつけていたので、仕事は遅れ遅れになった。
 3時になってやっと段数のステンシルを入れ始めた。その頃には父さんの方は蓋の塗装が終わり、「早くドットを入れろよ。」と言った。でも私としては今日の出荷分にストップをかけるワケには行かない。ドットが乾くのに時間が掛かるのは分かっていても、抽斗が最優先だ。三宮から電話があり、どうしてもB6の抽斗が欲しいと言う人があるので、心斎橋への5個のうち、一個を三宮へ振り替えることになった。それにしてもありがたいことだ。どこでどう情報を仕入れていらっしゃるのか、「どうしても欲しい。」とおっしゃるお客様があるということは、作り手冥利に尽きる話だ。

 特許だとか、そういう特権を抑えていないので、追々に類似商品はでてくるだろう。でも「跳び箱の収納用品は豊田産業に限るよ。」と言って可愛がってもらえるように、誠心誠意を尽くして、良い商品を作りたいと思う。

 木取りをする。組み立てる。形を整える。塗装をする。一つ一つの工程が楽しくて仕方ない。一つ一つの商品は、まるで私の子どものように、愛着があり、親しみがあり、いとおしさがある。
 私が子供だった頃、年をとった職人さんがキセルでタバコを吸いながら、出来上がったタンスに向かって、
「大事にしてもらいなよ。」
と云う府中タンスのテレビCMがあった。今私には、あの職人さんの気持ちが痛いほどわかる。
 大小合わせて、もうかれこれ600位は出荷しただろうか。皆、それぞれの場所で、大事にしてもらっているのだろう。

               2003年12月13日(土)